
2012年に逝去した若松孝二監督が代表を務めていた若松プロダクション。6年ぶりの映画製作再始動第1作目となる『止められるか、俺たちを』が、いよいよ10月13日(土)から全国順次公開されます。1969年、若松プロダクションの門を叩いた少女・吉積めぐみさんの目を通し、若松孝二監督を始めとする映画人たちが駆け抜けた時代を描く、ギラギラと心燃える青春映画です。
門脇麦さんが、主人公となる助監督の吉積めぐみさんに扮し、『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』や『11.25自決の日 三島由紀夫と若者たち』など、数々の若松監督作品に出演してきた井浦新さんが、若き日の若松孝二監督役を務めています。このたびSWAMP(スワンプ)では、とある理由をきっかけに本作の白石和彌監督を始め、撮影監督、照明技師、プロデューサーの4名にお集まりいただき、座談会を行いました。実際に若松プロの現場を知る方々だからこそ語れる、とっておきの秘話をたっぷり披露していただきました。愛憎入り混じった赤裸々トークを、ぜひ最後までお楽しみください!
『止め俺』の企画が成立するまで

▲座談会参加メンバーは、写真右より大日方教史さん(プロデューサー)、白石和彌さん(監督)、辻智彦さん(撮影)、大久保礼司さん(照明)です(大日方さんは途中より参加)。
――個人的な話で恐縮なんですが、実は本作の照明を担当された大久保礼司さんとは、大学時代の映画研究会(以下、映研)の同期という縁もあって、今回の取材が実現しました。『止められるか、俺たちを(以下、止め俺)』を試写で拝見した際に、エンドロールに大久保さんの名前を見つけて、「あ!」と思いまして。しかも本作が、当時若松プロダクション(以下、若松プロ)で助監督を務められた吉積めぐみさんの視点で撮られていることもあり、この機会にかつて映研で一緒に映画を作っていた仲間を取材するのも面白いのではないかと思ったんです。まずは、白石監督がなぜ女性を主人公にして、レジェンドの方々に取材をしつつ、若い世代に何を伝えたくてこの作品を撮ろうと思ったのか、というところから伺えればと。
白石監督(以下、白石):やっぱり今の映画作りに窮屈さを感じているということですよね。これは映画に限った話ではなく、世の中全体の話として、コンプライアンスとかポリコレとかを考えないと何も作れなくなっている状況に対しても言えることなんですが。いま僕は割とメジャーで大きい映画を任されるようになってきてはいるんだけど、超どインディーズでありながらも、「俺たちは世界と闘っているから別に関係ないよ」というような「若かりし若松孝二がやっていた映画作りはどんな感じだったのかな」っていうのを、まず僕自身が観てみたかった。というのが非常に大きいですよね。
若松さんの映画を振り返ってみると、どの作品も結構衝動で撮っているんですよ。たとえば『止め俺』に出てくるシーンで言うと(とおもむろに若松監督の口調を真似ながら)「三島が割腹したよ! あっちゃん、なんだお前知らないのか。早く帰って映画作んないと!」みたいな、もう居てもたってもいられない感じで映画を撮っているじゃないですか。
今そんな感じで映画を撮っている人って、果たしているのかなって。原作が売れているからとか、人気俳優の誰それが出るからとかでしか映画作りが出来なくなってきている中で、もう一回「表現って何なんだろうな」と考えたときに、やっぱりそこにあるのは「自由」だと思うんですよね。それこそ僕らが本当にやらなければいけないことなんだけど、いつのまにか「いやぁ、これやったらTwitterで炎上しちゃうかなぁ」とか、いろんなことに気を遣いながらついついやってしまうこととは違うところにある「表現」を、もう一度確認したかったというのもありますね。
あとは、若松監督が交通事故で亡くなってしまった、というのがあります。その頃僕は若松さんの映画作りには参加出来ていないんですけれど、俳優も含め、僕らスタッフ側の人間も「若松プロの映画作りが中断したまま唐突に終わってしまった」という感じがあるんですよね。だから若松映画に出ていた(井浦)新さんもそうだけど、会うと喪失感を抱えているのがわかるし。これは僕が監督を出来ているからなのかもしれないですけど、「懐かしいですよね」とか場合によっては「皆でまた集まって出来るといいですよね」みたいなことはいろんな人から言われていたので、タイミングといいネタさえあれば、やれたらいいなとは思っていたんです。それがまず、皆に声掛けを始めた出発点ですね。
――『止め俺』の企画を白石監督から聞いたとき、皆さんはどう思われたんですか?
辻:意外な感じは全然しなかったですね。何となく皆が「くすぶってる」という雰囲気はわかるんですよ。ある日、白石さんから「ちょっと集まってくれませんか?」と若松プロに呼び出されて。「吉積めぐみさんという女性を主人公に、自分たちの物語として、師匠の若かりし頃の話を撮りたいと思うんだけど、どうだろう?」という相談があったんです。特別なことがない限り「やらない理由はない」という感じだったんですが、正直最初はスケジュール的に参加するのが難しくて。企画としてはもちろんやりたいけど、先約が入っているからどうしようかなと思いながら。まぁ、最終的には上手く調整することが出来たんですけどね。
『止め俺』は、普通の仕事として引き受けるというよりも、自分の人生にものすごく関わってきていることでもあるので、「これをやらなきゃ、自分がカメラを持っている意味がないだろう」くらいには、最終的には思うわけですよ。スケジュールが理由だとしても、もしこれをやれなかったら、あとで自分がものすごく後悔するだろうなという気持ちがありました。とはいえ、先に決まっている仕事を裏切るわけにはいかない。そういう葛藤があったんです。
――なるほど。大久保さんは?
大久保:僕らは若松プロで、映画人として、スタッフとして育てていただいたので、先程白石監督がおっしゃったように、若松監督が事故で亡くなられてから、ものすごく喪失感みたいなものがあったんです。心のどこかがぽっかり抜けてしまったような。僕は、辻さんからこの企画の話を伺ったんですが、最初に聞いた時、ものすごくうれしかったのと同時に、どこかで「恐れ多いな」とも感じましたね。しかも新さんが若松監督を演じるという……。
白石:「何考えてるんだ!」って思わなかった?
大久保:はい、思いました(笑)。
白石:「馬鹿なんじゃないか?」って(笑)。
大久保:「え!? 嘘でしょ?」って(笑)。
――そういう感じだったんですね。
白石:ははは(笑)。でも、僕もめぐみさんの存在は知っていたけど、今回『止め俺』の企画を立てるにあたって、めぐみさんがどの時期に若松プロに来て、どのタイミングで亡くなったのかを知って、「めぐみさんを主人公にしたら、若松プロを描いていけるんだろうな」と思えたんです。しかも1969年から1971年という、確か若松さんが33歳くらいの頃で、年間に7本も映画を撮影していた時期なんですよ。『千年の愉楽』(2013年公開)の頃でも、年間に何本か撮っていましたよね?
辻:当時は3本撮っていましたね。
白石:ですよね。僕は去年長編を4本撮ったんですが、それでも正直あっぷあっぷなんですよ(笑)。若松監督はいくらピンク映画とはいえ、年間に7本~8本撮って、そのほかにプロデュース作品もあるという。もう無茶苦茶なことをやっていたわけですよ。「そのエネルギーは一体なんだったんだろう」というのが知りたかった。
――なるほど!
白石:ただね、若松孝二は変人すぎて、彼をそのまま主人公にするのは難しいんですよ。でも、めぐみさんというフィルターをかけたら撮れるんじゃないかと思ったんです。めぐみさんという、何者でもない少女が、ある日なぜか若松プロに行って、へんちくりんな大人たちがーー実際には一生懸命女性の裸を撮りながらーー「政治とは何か!」って言ってる可笑しな世界に飛び込むわけじゃないですか。それは「映画になる!」と思ったんですよ。だから、若松プロとか若松孝二が、いい意味での「背景」というか「舞台装置」になって行くというのがいいなと。それを思いついた時に「出来るかな」と思えたんです。
とはいえ、誰か一人でも「いやいや、師匠を映画にするなんて止めといたほうがいいよ」という声が挙がったら「本当に止めよう」とは思っていましたけど、ついぞ誰からもそんな言葉が出ず、逆に「いいね! それ」って。成立してしまって、僕の方がビックリ! みたいな感じでした(笑)。
――いくら皆さんがやりたいといっても、先程の辻さんのように、現実的なスケジュールのお話しもあるわけで。成立したのは奇跡であるとも言えますよね。
白石:まぁ、それはなるようにしかならないことなんで。普通だったらスケジュールが理由で断られた場合、代わりに誰か別のスタッフを探すわけですが、でもなんとなく「辻さん、絶対やってくれるだろうな」という予感があって(笑)。そこは不思議なくらい心配していなかったですね。この映画をやるって決めた瞬間から、皆で集まれるような気がずっとしていたので。それは、多分そういうことなんだろうなって。
――若松監督を誰がやるか、というのも、白石監督の中では迷うこともなく。
白石:僕はもう「新さんがやらないなら、この企画をやる意味はないな」ぐらいに思っていたし、周りの人は(新さんが若松監督に)「似てる」とか「似てない」とか……いや、基本は「似てない」って言ってたけど(笑)。俺ひとりだけ「似てる」と思っていたから、全然何の心配もしていなかったし。オファーしておいて失礼な話なんですけど、「新さんが断る理由って何かあるかな? いや、絶対引き受けるだろう」と思っていたので。無茶ぶりすぎるし、本当にズルいやり方だとは思うんだけど(笑)。
――資料によれば、新さんも「ほかの人がやるのは嫌だな」と思われたみたいですね。
白石:絶対そうですよね。でもそれは僕らにとっても同じで。例えば、辻さんも「スケジュールが……」と言いながら、もしほかの人にやられていたら歯ぎしりするだろうし、「若松プロの話を、僕ら以外の誰かが、なんかよくわかんないけど映画化するらしいよ」なんて聞いたら、「えぇ~!? 誰それ? 絶対そんなの潰しましょうよ!」っていう話だからね(笑)。
――誰からも反対意見が出なかったというのは、つまりそういうことなんですよね(笑)。もう一度皆で集まって映画を撮ることで、それぞれが若松監督との繋がりを見つめ直すというか。ある意味では「けじめをつける」みたいなところもあったのでしょうか。
白石:そうですね。足立(正生)さんをはじめ、「レジェンド」と呼んでいる当時若松プロに居た人たちからは、映画が完成したら「こんなつまんねぇ映画を撮りやがって」って、ボコボコに言われるんだろうなとも思っていて。それは全然かまわないんですけど、ただ「僕たちが若松孝二をどう見ていたのか」というのは、この映画にある程度込められるだろうなという予想があったので、「やるなら急がないと!」という気持ちもありましたね。皆さん高齢になられて、当時の話を伺うのも難しくなってくるから、まずはいろんな人にインタビューをしながら、そこから「どうしようか」という感じで進めていきました。
――実際、映画を撮るにあたって、当時の若松プロをどうやって再現していかれたのでしょうか。さすがに当時のスタッフは今回撮影自体には参加されていないですよね。
白石:さすがにね。でも役者もスタッフも、若松プロの経験者が多かったから、その頃の現場の空気感みたいなものは思い出しながらやっていった感じですね。
(と、ここでプロデューサーの大日方さんが到着。いったん仕切り直して、大日方さんにも『止め俺』の企画を聞いた時の印象から伺うことに)
大日方:若松監督が亡くなってから、ちょうど5年経ったぐらいだったのかな。白石監督から「こういうの、どうでしょう?」と聞いた時、着眼点もいいし、面白そうだなと思って「じゃあ、やってみましょうか」という感じでスタートしたんです。そこからはトントン拍子に話が進んでいったんじゃないかな。