「大学の学生課の中に、ある日突然出来た壁」に由来するタイトルの本当の意味。

 

――正直なところ、最初は彼らがあそこまで「近衛寮」に執着する理由が分からない部分もあったんです。でも、登場人物のキャラクターがそれぞれとても魅力的だったこともあり、みるみるうちに「近衛寮」の良さが伝わってきて。

 

渡辺:大学の寮って「政治的にすごく片寄った思想を持った危険な人たちが沢山住んでいるんじゃないか」とか「自分たちに都合のいいユートピアを残したいと騒いでいるだけなんじゃないか」といった誤解を持たれがちだと思うんです。でも、私が過去に取材して感じたのは「こんなに健全な場所はほかにはない」ということ。

 

私たち大人が社会の中で生きていく上でサボっていること、つまり「本当は考えなければいけないのに考えていないこと」や「向き合うべきなのに全然向き合えていない本質」といったことに対して、真剣に向き合い考えて実践しようとしている場こそが大学の寮なんじゃないか、ということがわかってきたんです。もちろん寮に暮らす彼ら自身も、それが限られた空間の中でだけ成り立っている、ということは自覚している。

 

でも、たとえわずか数年の間であっても、あのような空間で過ごす経験をすることに対して、彼らはすごく価値を見出しているし「そのような機会が奪われてはいけない」「世界の中にはこういう場所が必要だ」という強い気持ちを持っていることを痛感したんです。

 

たとえば、このドラマの中にも登場する「トイレがオールジェンダーであること」に対して、私自身は「男の子と共用なんて、ちょっと嫌だな」と感じたとする。でも、私が私の楽にしようとすると、今度はトランスジェンダーの子だけが負荷を負わなければいけないことになる。実際の寮生たちも、寮の中にトランスジェンダーの子たちが入ってきたことによって初めて議論が巻き起こり、ドラマのように全会一致を採ることが最良の解決策であると考えた。

 

彼らが暮らす寮の中で起きていることは、外から見ているだけではなかなかわからないし、彼らが日々取り組んでいることは、普段からそういった問題意識を抱えて生きていない限り、なかなか想像できることではない。でもだからこそ、もっとそれをもっと平たくして、中学生や高校生、さらにはお年寄りが見てもわかるように、彼らがいま向き合っている問題を伝える方法がないかと必死で考えてみたときに、「それこそがドラマの重要な役目なのではないか」という考えに至ったのです。

 

――なるほど。そういった想いから『ワンダーウォール』は生まれてきたんですね。

 

渡辺:寮の中では、個性豊かな学生たちがそれぞれ好きなように発言しています。ですが、たとえそれがどんなに極端な意見であったとしても、彼らはお互いの意見を排除したりはしない。それどころか「それこそが自分たちがいま居る場所の価値である」と感じているんです。自分が受け入れられないなら、受け入れられないまま、この共同体が続いていくにはどうしたらいいかを考える。そういったやり方で進めるのに、ものすごく時間はかかるんですけれど、彼らはそれをすごく真面目にやろうとしているんです。傍から見ると気楽に暮らしているように感じるかもしれませんが、あのような自治寮の中で暮らすことは、それ相応の覚悟がないと出来ないことなんです。でもそれと同時に、とても居心地の良い場所でもある。それぞれの個性が損なわれないまま、すごくのびのびしているんですよ。

 

――渡辺さんが取材された中で、特に印象に残っている寮生はいましたか?

 

渡辺:寮の中を歩いていると、1日中セーラー服を着て暮らしている男の子に出会うんです。でも、まわりも別に「あぁ、セーラー服だね」という感じで、誰も彼のことを排除したりはしません。また、例えば何か自分が気に入らないことがあったとしても「常識だから」という言葉を彼らは絶対に使わないんです。「自分はこれこれこういう理由で、これが嫌だと感じる。だからそれは止めて欲しい」といったように、何か意義を唱える時には「必ず自分がリスクを負う形でしか、人を非難してはいけない」という暗黙の了解がある。それも取材していてすごく面白いと感じた事柄でしたね。

 

――ドラマの途中で岡山天音さん演じる寮生の志村が、大学側との争いに挫折感を覚えて吐露するセリフが印象的でした。そこにはやはり、渡辺さんご自身の実感が込められているのでしょうか。

 

渡辺:そうですね。実際には彼らの年頃だと、まだあそこまでの現実は見えていないのかもしれません。でも、私は彼らより多少長く生きているので、自分がいま社会に対して感じていることをセリフに込めたところはありますね。「最近やたらと、いろんなところに壁が立ちだしたな」とか「すごく息苦しくなってきたな」といった実感であるとか「それはいったい何故なんだろう」とか「敵はいったいどこにいるんだろう」とか。「敵かと思ったらそうじゃない」とか「実は味方だったと思っていた人が敵だった」とかも。

 

そういった違和感を覚えることって、日々暮らしている中で意外と沢山あるじゃないですか。そもそも『ワンダーウォール』というタイトルは「大学の学生課の中に、ある日突然出来た壁」に由来しています。でも、実はそれは別に大学に限った話ではなくて、私たちが暮らす社会にそのまま直結する問題でもあると思うんです。

 

学生課という場所も、昔は同じ担当者が学生たちと長年やり取りしていたために、今よりもっと密接な関係だったらしいです。だから、表向きは揉めていても個人と個人の間には「壁」が無かった。でも、おそらくいまの社会や組織の中では、合理性を求めた結果起きている現状があり、それは誰のせいとかではないけれども、結果的に社会に対する息苦しさとか、人と話している気がしない、といったような違和感に通じているのではないかと思うんです。

 

――そういった意味では、渡辺さんが『ジョゼと虎と魚たち』の脚本を書かれていた当時と、今の社会の状況はだいぶ変わってきているような気がします。あの映画の中で描かれていたのは、普遍的なものではあるけれど、あくまで「個人対個人」の問題であったように思うんです。いまほど社会の軋轢に脅かされていなかったというか。

 

渡辺:そうなんですよね。『ジョゼと虎と魚たち』の頃は、今と比べたらまだまだ全然のんきに暮らせていたような気がします。私個人の感覚でお話しすると、3.11というのがとても大きくて、あの出来事をきっかけに、「自分たちはいったいどんな社会に暮らしていたのか」ということをすごく突き付けられたような気がしてーー。

 

 

この話題は、渡辺あやさんインタビュー【後編】に続きます。

 

(写真・加藤真大)

 

 

■後編はこちら

 

 

京都発地域ドラマ『ワンダーウォール』 

 

NHKオンライン:http://www.nhk.or.jp/kyoto/wonderwall/

 

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