「言葉」という形を取るもっと前の部分に「映画」で辿り着きたい

 

――三宅監督は「制約に対してどう応えるか」ということを考えながらもの作りをするタイプだそうですが、『きみの鳥はうたえる』では初の「原作モノ」に挑戦されていますね。

 

三宅:語弊を恐れずに言えば、本当に楽しい作業でしたし、自分の人生をいい意味で振り返られるような、そんな小説を映画化できて光栄でした。原作者である佐藤泰志さんと僕は、生まれた年代こそ違いますが佐藤さんがこの小説を書かれた当時は30か31歳くらいで、ちょうど僕がこの映画を撮っていた年齢と近い。「時代が違う同い年の人が書いた物語」というところで、なんとなく感じることが似ていたのかなと思いますね。

 

――映画化するにあたって、具体的にどのように取り組まれましたか?

 

三宅:たとえば、海の深いところにある形の知れない「表現したいもの」が、ザッバーンって海面に出る時に「小説」という形になったのだとしたら、僕はその海面に出たものを「映画」に加工するんじゃなくて、同じ海の深い部分に潜り直して、海底のものを掴んで、それを今度は「映画」という形にして海面の上に突き出したい、と思ったんです。あ、全然具体的じゃないや。

 

 

(と、おもむろに身振り手振りを交えて語り始めるものの「こんなことやっても、文章にしづらいですよね」と笑う三宅監督)

 

三宅:核の部分がつながっているというか。今のたとえで伝わります?

 

――なんとなく……(笑)。でもせっかくなので、もう少し具体的にお願いします!

 

三宅:たとえば、「幸せ」を表現したいときに、文章だったら「幸せです」って書くのか、あるいは表情について書くのかわかりませんが、いずれにしても文字の芸術として表現しますよね。映画の場合は、登場人物が「幸せです」と言うのか、どうなのか。つまり、映画ならではの「幸せ」を体現しなければいけないんです。

 

――それは「画で見せる必要がある」ということですね。

 

三宅:画とか時間とか、それこそ身体を使って見せないと伝わらないから。

 

――言葉とは裏腹なこともある、ということですよね。

 

三宅:そうだと思いますね。だから佐藤さんが言葉で表現したものをそのまま映画にするんじゃなくて、「言葉」という形を取るもっと前の部分に「映画」で辿り着きたい。「根っこで繋がりたい」と思ったんですよ。

 

――表現手段が違っても、根っこは同じ。

 

 

三宅:そうです。この小説で僕が一番魅力的だと感じたのは、行きつけのバーで、みんなでサッカーをしたりしながら過ごすものすごく長い一夜だったんですね。どこにでもありそうだけど特別な夜が描かれているんですけれど、それを説明的に撮ることはしたくなかった。そこにあるかけがえのない時間の手触りみたいなものを「映画ならではの手法でどう表現するか」を考えた時に、「自分ならクラブで踊っている時間が撮れる」と思えたんです。

 

――なるほど。クラブで踊るシーンにはグルーヴ感があふれていました。きっとそこが「原作があるのに三宅監督のオリジナルにも見える」という、本作が贅沢な映画たる所以なのではと思うんですよね。

 

三宅:それは嬉しいですね。でも、本当に僕としては「佐藤さんの器の中で泳がせてもらったな」という感じが強いんです。この映画の企画を最初にいただいた時に、函館市民映画館シネマアイリスの菅原和博さんが「ベテランの監督にオファーしてもいいんだけど、この物語は登場人物たちに近い三宅が撮るべきなんだ」って仰ってくださって。つまりそれって「自分の感覚を信じろ」っていうメッセージだと思ったし、菅原さんも最後まで僕のことを信じてくれていたんだと思うんですよ。

 

映画制作を続けていると、時には大幅にブレたりすることもあるんですが、この映画に関してはあまりなかった。「いまの俺は、こう感じたんだよ」っていうのを大事にすることが、「この映画における僕の仕事なんだ」と思いながら作りました。だから、本作では「なぜなら」って言わなかった。「俺はクラブがいいと思う。以上!」っていうパターンでした。

 

――それはもう「信じてもらうしかない」ということですよね。

 

 

■次ページ:三宅監督の映画原体験とは?

 

おすすめの記事