押見修造さんが自身の体験をもとに描いた同名コミックをもとに、『百円の恋』で知られる足立紳さんが脚本を手掛け、気鋭の湯浅弘章監督が実写映画化した『志乃ちゃんは自分の名前が言えない』が絶賛上映中。

 

喋ろうとするたび言葉に詰まり、名前すら上手く言えない高校一年生の志乃と、ギターを弾くのが生きがいなのに音痴な加代が出会い、不器用ながらもかけがえのない時間をともに過ごす姿を、みずみずしい映像と音楽で描いた傑作青春映画です。

 

このたびSWAMP(スワンプ)では本作で長編商業映画デビューを果たした湯浅弘章監督に単独インタビューを敢行。押井守監督との素敵な師弟関係や、苦労をともにした監督仲間との熱い友情、鳥取時代の湯浅監督のやんちゃなエピソードの数々をたっぷりと伺ってきました。

 

「リアルな14歳の役者を選んで、ちゃんと良いものを作ろう」

 

――本作が長編商業デビュー作ということですが、どのようなきっかけでこの原作を選ばれたのですか?

 

湯浅弘章監督(以下、湯浅):初長編の作品としてどういう企画が良いのかプロデューサーがいろいろと吟味してくれている中で、『志乃ちゃんは自分の名前が言えない』の原作を紹介されたんです。僕が押見さんのマンガが好きというのも知っていて、キャスティングありきの企画ではなく「リアルな14歳の役者を選んで、ちゃんと良いものを作ろう」という方針だったので、とてもありがたかったですね。

 

――デビュー作でそこまで理想的な環境が整っているのは、素晴らしいですね。

 

湯浅:そうですね。台本作りも割と自由にさせてもらえましたし。

 

――コミック原作と言っても1巻読み切りというのは珍しいパターンですが、映画化にあたり、原作のどの部分を具体的に膨らませていかれたのでしょうか。

 

湯浅:起承転結は既にしっかりと出来ているので、「結」に辿り着くまでの映画的な時間を作りたい、という想いがあったんです。具体的には、夜のバス停のシーンを入れたり、菊地のキャラクターを膨らませたり。ラストカットも、より映画的に魅せるために原作とは違うものになりました。

 

――原作だと、志乃ちゃんのその後の人生まで描かれますよね。

 

湯浅:志乃ちゃんが大人になっているんですよね。でも考え方は原作と一緒で、ラストカット以降も3人それぞれの人生は続いていく、みたいな感じになればいいかなって。

 

――きれいごとでは終わらない感じが、すごくリアルで心に響きました。

 

 

――演じられた萩原(利久)さんには申し訳ないのですが、私、菊地のキャラクターが本当に大っ嫌いなんです(笑)。

 

湯浅:あはは(笑)。

 

――映画を観ている間ずっと、「菊地ムカつく!」と思っていて。

 

湯浅:それ、萩原くんはきっと喜ぶと思いますよ(笑)。こちらの狙い通りなので。

 

――どのクラスにも、ああいう男子っていますよね。菊地にもいろいろ人には知られたくない過去があったり、自分でも自覚している部分もあったりと、同情する余地は多少あるものの、それを差し引いてもあまりにひど過ぎるから(笑)。

 

湯浅:そうですね。空回りが加速するだけっていう(笑)。

 

――女子からすると、菊地の存在は「邪魔者」以外の何者でもないんです。あの菊地のキャラは、相当しっかりと作り込まれたのでしょうか。

 

湯浅:萩原くんは撮影中も基本的にはスタッフとずっと一緒に居て、いじられキャラになっていましたね。普段の彼も明るいんだけど、どこか役を引きずっていて、あえてそうしているような気配があったんです。自分の撮影がオフの日も現場に来て、車止めしたりカチンコやったり。でも上手く(車止めが)できなくて、スタッフに怒鳴られたり(笑)。さすがに事務所から怒られるんじゃないかって、こちらもちょっとヒヤヒヤしていました。

 

――「うちの大事な萩原に何をさせているんだ!」って(笑)。

 

湯浅:そうそう! そうしたら「じゃんじゃん使ってください!」ってお墨付きをいただいて(笑)。一気に「ありがとうございます!」みたいな感じになりました。

 

――あはは(笑)。でも、こんなに嫌なヤツを演じられるって、すごい才能ですよね。

 

湯浅:上手くないと出来ないですよ。本読みをした瞬間に「素晴らしい!」と感じましたね。

 

――菊地のキャラクターを原作から膨らませたということですが、それは脚本の足立紳さんと一緒に考えられたんですか?

 

湯浅:そうですね。足立さんは「ダメ人間」を描くのがすごく上手いんです。「菊地っていう異分子を膨らませたい」というのを足立さんに伝えたら、そこから割とすごい感じで書いてきて(笑)。思い入れへの強さを感じましたね。

 

――志乃ちゃん役の南沙良さんと、加代ちゃん役の蒔田彩珠さんの迫真の演技も、本当に素晴らしかったです。「一体どうやったらあんなお芝居が出来るんだろう?」と心底驚きました。

 

 

湯浅:志乃ちゃんのオーディションの時も、南さん自身がまだ荒削りな感じで。良い意味で完成されていなかったから、「これは現場で化けるだろうな」と思っていたんです。

 

――それって、どうやって見抜くんですか?

 

湯浅:オーディションをやっていると、どうしても完成されたお芝居をする人が多いんですよ。確かに「上手いな~」とは思うんですが「でも、志乃ちゃんじゃない」というのもあったりして。もっと歌や芝居が上手い子もいたんですけど、なぜ南沙良に満場一致で惹かれたのかというと、やっぱり「可能性をすごく感じたから」なんです。

 

――なるほど。オーディションでの南さんと蒔田さんのお芝居はどんな印象だったのですか?

 

 

湯浅:2人とも肝が座っているな、とは感じましたね。オーディションなんて、大人たちがこっちにズラッと座っている前にポツンとひとりで座らされて「じゃあ、やってみて」っていう状況ですからね。蒔田さんは部屋に入って来たときから既に「岡崎加代」という役を自分のものにしていました。南さんは「悩みながらも自分の人生を切り拓いていく姿」が、志乃ちゃんの役柄とシンクロするだろうなと。

 

――ちなみに志乃(南さん)が泣くお芝居で涙と鼻水を出して表現しているのは、監督の演出なんですか?

 

湯浅:そうですね。「鼻水が出ても絶対に拭うな」って言いました。「(鼻水を垂らしながら泣くのは)女性として綺麗な顔じゃないかもしれないけど、そのぐしゃぐしゃになった顔が、女優としては美しい顔なんだから」というのは、こんこんと言い聞かせましたね。拭った瞬間、観ている人が理性を感じるので。「そういう時は、人は見た目なんて気にしていないんだよ」って。

 

――とはいえ、たとえ監督からそういう指示があっても、思春期の女の子に実際それが出来るかどうかというのは、また別の話ですよね。

 

湯浅:そうそう。

 

――それを立派にやり遂げた南さんからは、単なるテクニックとは違う、もっと本質的なものを感じました。「音痴な加代ちゃん」を演じた蒔田さんも、きっと演じるのはかなり難しかったはずですよね。

 

湯浅:蒔田さんは、本当はとても歌が上手いんです。だから音程を外して歌えるんだと思います。『魔法』(オリジナル曲)という曲だけは観ている人にカタルシスを感じて欲しかったので、「ちょっとだけ下手にして」って言ったら、ちゃんとオーダーどおりにやってくれて。

 

――プロですね。でも、ギターは初めてだったんですよね。

 

 

湯浅:はい。でも、撮影までの2カ月ぐらいで、3曲分しっかりマスターしてくれて。念のため「吹き替え」も用意してはいたんですが、結局1カットも使わずにご本人が全部演奏されているんです。

 

――音楽の選曲がツボだったのですが、原作に登場する曲以外は、どうやって選ばれたんですか?

 

湯浅:1996年という設定で作っているので、当時加代ちゃんがチョイスしそうな曲にプラスしつつ、僕も同年代なので、高校生の頃に好きだった曲をリストアップしたり。僕、「THE BLUE HEARTS」と「THE MICHELLE GUN ELEPHANT」が大好きだったので、それはどうしても入れたくて。

 

――なるほど! まさしく私も同世代なので(笑)。響くわけですね。

 

湯浅:そうだと思います(笑)。しかも歌詞がこの映画と合うんです。この映画って、実は「バス」がいろいろなものを象徴しているんですけど、(ブルーハーツの)『青空』にもバスが出てくるし。シンクロするからいいかなと思って。もちろん、押見さんにも許可をいただいて。

 

――この映画って、いわゆる「音楽映画」の1つとしても位置づけられると思うんですが、「歌って上手さじゃないんだな」っていうのを、改めて感じさせてくれる作品ですよね。

 

湯浅:そうなんですよね。技術的な上手さで魅せるよりも、南さんの素朴な歌声とか、蒔田さんが『魔法』を感情むき出しで歌うことが響くだろうなというのはありました。

 

――まんまとその術中にはまりました。でもきっと、監督の演出を超えたところで、役者さん本人の力というのも、相当大きいんじゃないかなと思いました。

 

湯浅:確かにそうだと思いますね。

 

――そういった意味でも、この映画はすごく説得力がある気がしたんです。それぞれの役者さんが、生身の身体で「演じている」というよりは「役を生きている」ような感じがして。

 

湯浅:本人が役に悩んでいる姿とキャラクターの悩んでいる姿がシンクロした瞬間を、カメラに収められたのも良かったなと思いますね。

 

――この作品、吃音の当事者から観ても、ものすごくリアリティがあったんです。実は私自身、突然言葉が出なくなってしまった時期があったので、「自分の名前が言えない」志乃ちゃんのもどかしさや悔しさが、手に取るように伝わってきて。原作にもあるセリフなんですが、志乃ちゃんが体育館で振り絞って叫ぶ言葉は身につまされました。恥ずかしいとか恥ずかしくないとかではなく、自分との闘いなんだっていうことを、志乃ちゃんに教えてもらった気がします。

 

湯浅:吃音じゃなくても、人って何かしらみんなコンプレックスを抱えていると思うんです。10代なんて特にそうですよね。問題を抱えていない10代なんていないから。そういった意味では、普遍的な問題を扱った作品として描けたらいいなとは思っていましたね。

 

――2人の少女の独特な関係性を描いた物語という意味では、原作者の押見さんがイメージしたという『ゴースト・ワールド』っぽさとか、最近だとアニメ映画の『リズと青い鳥』とも通じる部分があるように思いました。女子高に限った話ではなく、共学の高校でも「菊地、ジャマ!」みたいなところはすごくリアルだな、と。

 

湯浅:確かにそういうところはありますね。

 

――志乃ちゃんが加代ちゃんのギターで歌っているシーンに被せて、プロモーションビデオ風になるところがありますよね。2人がボートの上で戯れているシーンを俯瞰で撮っているカットがものすごく美しくて。あのシーンは、沼津で撮影されたんですか?

 

湯浅:主なロケ地は沼津と下田ですね。2人がキャッキャ言っている浜は下田です。沼津には砂浜がないから「文字が書けないな」って思って(笑)。

 

――原作だと設定は群馬ですよね。

 

湯浅:原作は桐生が舞台なんですが、別の作品で撮影したことがあったんですね。「山に囲まれた狭い社会の中で暮らす」っていう描き方もあるんですけれど、一方で美しいキラキラした海の風景の中に、主人公がすごく暗い気持ちを抱えてポツンといるっていうコントラストの付け方もあるなと思って。舞台となった沼津の高校は撮影でよく使われる場所で、僕も以前ミュージックビデオの撮影で使わせてもらったことがあるんです。最近では(沼津は)『ラブライブ!サンシャイン!!』の舞台でもありますね。

 

――屋上から海が見える素晴らしいロケーションですよね。

 

湯浅:そうそう。原作者の押見さんも「舞台を変えるのはまったく問題ない」と言ってくださって。

 

――映像の美しさというのも、この作品で監督がこだわられたポイントですか?

 

湯浅:そうですね。悩んで葛藤して気持ちが暗くなっている主人公たちと、真逆の風景にしたいな、暗い気持ちになればなるほど周りはキラキラさせたいな、という狙いはありましたね。

 

――確かに、あんなに暗い話なのに全然閉塞感がなかったです。

 

湯浅:「世界はこんなに美しいのに」っていう風にしたかったんです。

 

――その一方で、2人を取り巻く大人たちの姿もとても印象的でした。

 

 

湯浅:先生と志乃ちゃんのお母さんは、「14歳の2人のことを理解できない対岸の大人」という描き方をしたんです。ただ、公園管理人の渡辺哲さんだけは、14歳の2人を見守る立場というか、観客目線を1つ入れたいなと思ったんですよね。でも傍観者だから哲さんは「しゃべっちゃだめ」っていう設定なんです。しゃべってしまうと、意味が出てしまうから。

 

――そこは監督自身のこだわりですか。

 

湯浅:そうですね。「哲さんをキャスティングしておいて、セリフ無いんですか?」って周りには非難されましたけど(笑)。「体育館のシーン、俺も観に行きたいわ~」って哲さんも言ってくれましたね。

 

――本当に見守ってくださっていたんですね! 『志乃ちゃん~』って、決して登場人物が多い映画ではないのに、「どうしてこんなにも豊かな物語が紡げるんだろう」っていうのも不思議だったんです。

 

湯浅:メイン3人しか居ないですからね(笑)。でもそれぞれの役割が全部はっきりしているので分かりやすいんですよね。

 

 

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