第70回カンヌ国際映画祭で最高賞のパルムドールに輝き、アカデミー賞外国語映画賞にもノミネートされるなど、まさにいま世界各国の映画祭を席巻している北欧の若き巨匠リューベン・オストルンド監督最新作『ザ・スクエア 思いやりの聖域』が、いよいよここ日本でも4月28日(土)より公開されます。

 

スウェーデンの王立美術館を舞台に、現代社会に蔓延するエゴイズムや貧困問題を題材とした現代アートの展示を巡り、予期せぬ窮地に陥るキュレーターの悲喜劇を、毒とユーモアをたっぷり詰め込み、エレガントに描いた本作。公開に先駆け、横浜美術館で学芸員とアーティストによるスペシャルトークショー付きの特別試写会が実施されるという情報を聞きつけ、早速取材してきました。

困っている人がいたら助ける。それは本当に当たり前?

 

この作品を初めて観たとき、主人公に次々と降りかかる、どこまでもリアルで不条理な出来事に戦慄するとともに、日本とスウェーデンの違いや共通点を感じながらも、人間の本質的な部分は、きっといつの時代も、世界中のどこでも同じなんだ、と痛感させられました。

 

ストーリーは、現代美術館のキュレーターを務めるクリスティアンが、「思いやり」をテーマにした新プロジェクトを企画。「ザ・スクエア」と題されたアート作品を展示するべく、そのPR活動に従事するなか、携帯と財布が盗まれるという事態に見舞われます。なんとかして取り戻そうと考えたクリスティアンは、とても公人とは思えないような突飛な行動に出るのですが、それをきっかけに彼を取り巻く日常は、カオスへと陥っていくのです。

 

具体的には、大きく分けて4つのエピソードが同時進行していきます。

 

 

まず1つ目は、前述の通りクリスティアンの携帯と財布を巡るエピソード。通勤途中に不審な男に追われている女性に助けを求められたクリスティアンは、居合わせた別の男性と共に仲裁に入り事なきを得ますが、騒動のどさくさに紛れて携帯と財布をすられたことに気づきます。GPS機能を使って携帯のありかを突き止めたクリスティアンは、部下にそそのかされ、あろうことか脅迫状を集合住宅の郵便受けにしらみつぶしに投函、駅前のコンビニ宛に送り返すようにと犯人に迫るのです。

 

その甲斐あって携帯と財布は無事に手元に戻ったものの、その脅迫状によって、両親から不当な疑いをかけられたという少年が現れ、クリスティアンを糾弾するという事態に。果たしてクリスティアンはこの状況下をどうやって切りぬけるのか、というお話です。

 

 

2つ目は、展覧会の広報を巡るエピソードです。地面に正方形を描き、「この枠内で誰かが助けを求めていたら、周りの人は助ける義務がある」というコンセプトのシンプルなアート作品を多くの人に周知するため、炎上商法を狙って製作された過激な動画が、クリスティアンの知らないところでサイトにアップされ一気に拡散。メディアや人権団体から袋叩きに合い、責任問題へと発展するというお話。

 

 

3つ目は、現代アートの展示を巡って行われる、美術館の仕事の舞台裏を赤裸々に描いたパートです。メディアの取材を受けたり、関係者向けの内覧会を開いたり、寄付金を募るための豪華なガラパーティーを開いたりする様子とともに、この業界ならではの人間関係が暴露されます。

 

興味深いのは、前述の炎上商法同様、メディアや美術関係者に対する鋭い社会風刺にもなっているところ。そしてそれと同時に、作品の鑑賞者に対しても「寛容」度合いを問う、という高度なチャレンジも成されているところです。

 

 

4つ目は、それらを観客にも突き付ける、いや~な感じのエピソードです。この映画には、猿が象徴的に登場します。まずはクリスティアンと一夜を共にする記者の部屋を、ウロチョロするチンパンジー。そして、絢爛豪華なガラパーティーの空間を一瞬にして恐怖のドン底に陥れる「モンキーマン」によるパフォーマンスです。

 

詳細は観てのお楽しみとさせていただきますが、これらのエピソードを踏まえると、この映画を公共の美術館で上映し、学芸員とアーティストが語るという試みが、どれほど刺激的でチャレンジングなことか、きっとお分かりいただけると思います。

 

アーティストの表現の自由と、問いかけられる人の寛容さ

 

登壇したのは、横浜美術館の学芸員を務める木村絵里子さんと美術家の中村ケンゴさんのお二人。実はこの映画の中にも、男性アーティストと女性キュレーターによるティーチインの模様が登場するのですが、まさにそのシーンを彷彿とさせる状況が目の前に再現されるという、二重構造になっているのが既に興味深く、観客もまるで映画に参加しているような気分に。

 

しかもお二人とも映画の出演者さながらのスタイルで、会場の雰囲気も一気に和んでからのスタートとなりました。

 

 

まずなんといっても気になるのは、「この映画で描かれていることは、一体どこまでリアルなの?」ということ。きっと映画を見た誰もが聞きたくなるのが、この質問に違いありません。現役学芸員の口からどんな答えが……? と、会場の視線が集まるなか、まず木村さんから語られたのは「この映画は学芸員ならとても身につまされる映画であり、痛いところを突かれる部分も多かった」ということ。

 

映画の冒頭、オフィスのソファで仮眠をとっていたクリスティアンが叩き起こされる場面が映し出されるのですが、これも学芸員にとっては「あるある」の光景だとか。「メディアの取材を受けているときは、準備に追われて徹夜明けで頭がボーっとした状態にも関わらず、普段からよく口にしている言葉だけはスラスラ出てくる」というから、これも監督の取材の賜物なのかもしれません。

 

しかも、映画に出てくるキュレーターが話している内容が、「ほとんど引用と比喩に終始している」ところも、現実をよく捉えていると感じたポイントだそう。

 

 

一方、アーティストである中村さんが注目したのが「キュレーターのステイタスの高さ」。木村さんによれば「ヨーロッパの王立美術館はキュレーターも世襲制だったりすることもある」といい、映画で明らかにされる「アートを巡る、理念と現実の乖離」については、何度か登場するパーティーのシーンに、この業界の構造がよく表れているんだとか。

 

ちなみにお二人によると、この映画は複数回観たほうがより一層楽しめるタイプの映画だそう。1回目はストーリーを追いかけるのが精一杯かもしれませんが、2回目以降は例えば「クリスティアンの部屋にどんな絵画が飾られているか」「螺旋階段や象徴的に出てくる正方形がどんな効果をもたらしているか」に注目しながら映画を観てみると、また違った発見があること請け合いです。

 

 

さらに、お二人は映画と現実の決定的な違いとして「この映画にはアーティストも登場しなければ、美術館を統括する役割の館長も一切登場しない」と指摘。通常なら、謝罪会見には作家と館長が並んで出てくるはずだし、そもそも日本の場合はプロモーション展開についてもその都度作家にお伺いを立てることが多く、その点が大きな違いであると言えるそう。

 

 

この映画における重要な命題は「どこまで人間は寛容でいられるのか」ということ。そして「どこまで人間は表現の自由に踏み込むことができるのか」ということ。中村さん曰く「アーティストがどんなに自由だと言っても、その時代の価値観の中でしか作品は評価されない」。そういった意味で、アートは常に矛盾を孕んでいる存在なのだと言います。

 

こういったお話を横浜美術館のホールで『ザ・スクエア 思いやりの聖域』を観た直後に伺えるというシチュエーションにこそ、貴重な価値があると感じられた試写会でした。

 

来日中のリューベン・オストルンド監督による舞台挨拶の模様も、ご紹介する予定です。どうぞお楽しみに!

 

(写真:加藤真大)

『ザ・スクエア 思いやりの聖域』概要

『ザ・スクエア 思いやりの聖域』

4月28日(土)、ヒューマントラストシネマ有楽町、Bunkamuraル・シネマ、立川シネマシティほか全国順次公開

 

 

© 2017 Plattform Prodtion AB / Société Parisienne de Production / Essential Filmproduktion GmbH / Coproduction Office ApS

 

公式サイト:www.transformer.co.jp/m/thesquare/

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