『ザ・スクエア~』の重要なテーマとも言える「アート」の定義とは?

 

「そもそもアートって、便利に使われがちな言葉なんですよね」と口火を切ったのは、保坂さん。

 

保坂:よく分からなければ、とりあえず“アートだね~”って言っておけば済んでしまうといった風潮がありますよね(笑)。現代美術のキュレーターというのは、作品を全世界から美術館へと集める仕事。でも、もっと厳密に言うと、キュレーターという言葉の語源は、ルナティックス――いわゆる心の病を患う人々を塔に入れて、それを護る人をキュレーターと呼んでいたんです

 

なんと! 「キュレーターの語源こそが、この映画の神髄である」とも言えそうなエピソードが、ここにきていきなり飛び出しました。

 

保坂:そういった意味では、本来「物や人の精神とかを大事に見つめる人」っていうのがキュレーターのはずだったんですが、その管理人の役割を持っていた人の呼称が、ただ管理するのではなく、人にそれを“見せる”ことになり、展覧会を構成する人へと意味が変わっていったんです。でも今では、もともとの意味が忘れられてしまい、新しい意味を生み出す人のような認識になってしまっているんです

 

なるほど。このあたり、ガラパーティーでの「モンキーマン」のパフォーマンスにも、なんとなく通じるところがありそうです。

 

 

保坂:『ザ・スクエア~』では、主人公のキュレーター・クリスティアンが記者発表の中で作品の説明をしていましたが、本来、それはアーティストがすべきこと。今、世界的にキュレーターがアーティスト化していると言われているんですが、この映画は、まさにそれを象徴しているとも感じました

 

これについては、横浜美術館の木村さんと中村さんのトークでも「この映画にはアーティストも登場しなければ、美術館を統括する役割の館長も一切登場しない」と話題になっていましたよね。

 

さらにMCの斉藤さんが「この映画では、企画を仕掛けた側の人間(つまりクリスティアン)に、物語の中盤以降、(行動が)全部跳ね返ってきているようなところもありますよね」と指摘するやいなや、名越先生からこんな驚くべきエピソードが披露されたんです。

 

 

名越:そう、まさに跳ね返ってきていますよ。 いや~、保坂さんからキュレーターの語源を聞いて、いまゾクッとしましたよ。僕の専門でもある精神医療の話になりますが、精神病院というのは19世紀頃には監獄と変わらないような状況だったんです。酷いところでは、彼らを見せものにしていたという、実際にそういう記載が残っているんです。

 

キュレーターの意味が、精神を病んだ人を護る人から“見せる”人へと意味が変わったというのが、精神医療の歴史ともどこかリンクするものがあるように思えてしまいました。このあたりのエグイ話が、この映画の中にも、どんどんかすってくるんですよね

 

保坂:そういう意味では、1席で何十万円もの寄付金を募るガラパーティーのような場所に、「人間ではない動きをする人(モンキーマン)」を、おそらくキュレーター自身のアイデアで投入したっていうのは、非常に意味深でもありますね

 

 

ヴィヴィアン:この映画の場合、幽閉されているものって、いわゆる「スクエア」っていうアートのコンセプトであるともいえますね。それを解放しようとしたら、逆に解放する側が襲われてしまった......といった感じにも見えてきます

 

名越:安全じゃないところで解放しちゃったってことですよ

 

ヴィヴィアン:そういうことになりますよね。反乱を起こしちゃってる

 

名越:そうですね。まさに「スクエア」とは逆の意味になってしまった。「スクエア」の中で危険なことをやっているうちは、僕らは高みの見物が出来るけど、ここまでくると大変なことになりますよね(笑)。

 

なるほど。あのガラパーティーのシーンから感じる恐怖は、単なる精神的、肉体的な苦痛であるだけではなく、もしかすると、いろんな人の思惑の「裏の裏」をかかれているような気分になるから、より一層いたたまれなく感じられるのかもしれません。

 

▲「モンキーマン」のシーンは、本作の見どころの1つ。

 

 

名越:もちろん、映画を観ているときは僕も「わ~」って圧倒されていたんですけど、後から考えると、ここで描かれているゴリラって、本物のゴリラじゃないですよね。あまり言うとネタバレになっちゃうから詳しくは言えないんですが、ここに出てくるモンキーマンは、人前で「あられもない行動」をするんです。

 

でも、本物のゴリラだったら、たとえば物を食べるとか、そういった私的な行為って、普通は安全な場所でするわけなんです。これだけの敵意が向けられている中で、ああいった行動をするっていうのは、あきらかに人間が想像する「野性に対する恐怖」を彼は演じているわけであって、逆に言えば、すごく知的な行動をしているともいえるんです。箱の中にまた箱があるような、皮肉が込められている映画なんですよね

 

既に映画をご覧になった方なら、きっとこの名越先生の冷静な分析に驚かされるはず。もしまだご覧になっていない方も、きっとそこまで冷静に見られはしないと思うので、まずはその恐怖に耐えられるかどうか、ぜひ試してみてはいかがでしょうか。

 

ちなみに、実際に最近ローマの美術館のパーティーに出席されたという保坂さんからも、とっても興味深いエピソードが明かされました。「そのパーティーで行われていた出し物は、裸に布を巻いた人たちが交互に立っていて、微妙に動くといったコンセプトのもの」。モンキーマンと比べると「歓談しながらチラッ、チラッと見られるパフォーマンス」だったそうですよ(笑)。

 

また、保坂さんが主人公のクリスティアンの行動を見ていて、「さすがだなぁ」と感じたのが、彼が「アドリブすら演技にしてしまう」ところだといいます。

 

保坂:彼が記者発表の場で挨拶をするシーンがあるんですが、まず挨拶の場所に「階段」を使うっていうところからして、いかにも「カジュアルです」って言っているのがまた現代美術館っぽいんですけど(笑)。事前にトイレで眼鏡をはずすタイミングまで練習していて、実はアドリブに見える瞬間すら、演技なんだってことがわかるシーンがあるんですが、「うまいなぁー」と思わされました。

 

逆にいえば、「彼らはそこまで記者発表に対して熱意を注いでるんだ!」って、観ていてちょっとキュンとしちゃいましたね(笑)

 

 

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