「万年筆」こそ涼子とチャネを結び付ける重要なキーアイテム

 

新垣さんが紡ぎ出す旋律とともに、この映画を構成する上で欠かすことが出来ないのが、人気作家である涼子が暮らす、立派な本棚が備え付けられた、緑あふれる素敵な住まいです。

 

実はこの建物、映画のセットではなく、建築好きの間では「中心のある家」として有名な、建築家の阿部勤さんの邸宅。剥き出しのコンクリートと無垢な素材が見事な調和を感じさせる、なんとも居心地の良さそうな空間は、まさにこの映画における重要なキャラクターの一部といえるほどの存在感を放っています。

 

同業者だった夫と離婚した後も、自宅兼仕事場として涼子が独りで暮らしているのですが、そこにチャネがアシスタントとしてやってきて居候することになるのです。

 

当然、書斎で涼子が小説を書くシーンが何度も登場するのですが、私が思わず目を奪われたのは、涼子が手書きにこだわっているということ。そしてそれを象徴するかのように、この映画の冒頭は、涼子が原稿用紙に万年筆でまるで文字を刻むかのように書きつける手元のクローズアップから始まります。

 

そもそも涼子とチャネが接近するのも、チャネがバイトをしている居酒屋に大事な万年筆を忘れてきたことに気づいた涼子が、深夜に慌てて閉店後のお店を尋ねていったからだし、チャネが涼子の小説の執筆を手伝うようになるのも、手を痛めて自分で小説を綴れなくなった涼子が、チャネにパソコンでの入力を依頼したことがきっかけだったんです。

 

でも、涼子がそこまで手書きにこだわる理由は何だろう? もしかしてチョン監督は、シナリオを執筆するときも手書きなの? という疑問がわいてきて、思わず監督に伺ってみました。

 

 

監督:シナリオを書くときは、私はパソコンを使います(笑)。シナリオというのは常に修正を加えなければいけないので、万年筆で手書きにすると大変な作業になるんです。でも簡単なメモを書くときには、私も万年筆を使っていますよ。

 

――さすがに、そうですよね(笑)。では涼子が手書きで綴ることにこだわった理由とは?

 

監督:まず私も涼子が万年筆を使うということの意味を考えてみたんです。この映画の主な登場人物のうち、一人はすでに小説家になっている女性で、もう一人は漠然と小説家を目指している青年ですよね。

 

――えぇ。

 

この二人が出会ったとき、どんなことが出来るだろう? と考えてみたんですが、もし涼子が小説を書くときにパソコンを使っていたら、小説を書く過程で青年と一緒にできることはあまりないのではないか。だとしたら、普段手書きで小説を書いている女性が、手を怪我したなどの理由で書けなくなったときに、そのサポートを青年にお願いすることもできるのではないか、と考えたんです。

 

――なるほど。

 

監督:『愛の記憶が消えていく』というテーマを中心に据えて、私はこの映画のシナリオを書き進めました。涼子という女性が、手書きで小説を書くことをとても大切だと考えていることは、学生たちにも「原稿用紙に直接自分の手で書きなさい」と教える場面からも感じ取っていただけると思います。手書きこそが、彼女にとって物を書く理由でもあり、生きる目的でもあるということなんです。

 

――つまり、チャネと出会う前の涼子にとっては万年筆で綴った小説こそが真の小説であり、自分が生きた証でもあったということなんですね。

 

監督:えぇ、そうなんです。万年筆について質問されたのは今日が初めて。良い質問をしていただいてありがとうございます(笑)。

 

――実は、私自身が書家もしているので、日頃から手で書いたときの文章とパソコンで打った時の文章の違いについて考えることがあって……。

 

監督:やはり理由があったんですね! 映画を観てくださる方って、自分が大事に思っていることを、映画の中にも見つけてくださるものなんですよね。

 

チョン監督から指摘されて振り返ってみると、確かに映画を観る時は、自分の生活や人生と関わりがあることに無意識のうちに目が向いてしまいがち。でもだからこそ、観る人によって響くポイントは異なるし、観る人の数だけ観方が存在するのだということに、改めて気付かされました。

 

最後にチョン監督に訊いてみたかったのが、人と人との繋がりに対する監督の思いと、チョン監督が映画制作を通じて培ってきたこと。

 

――映画の終盤、「結局自分は利用されただけなんじゃないか」と疑心暗鬼になっていたチャネが、涼子の本当の気持ちに気づくシーンがありますよね。これは涼子とチャネだけの関係に限ったことではなく、恋愛関係より、仕事関係でもしばしば見受けられるすれ違いを描いていると感じます。監督は、人と人との繋がりに対して、希望を持っていますか?

 

監督:人は誰でも、自分が他人のために犠牲になっている、と感じることの方が多いような気がします。利用されたと思う時も多いでしょう。私たちは、いつも相手の本当の気持ちを、実際よりも低く評価してしまうものだし、それは仕方のないことなのかもしれません。でもだからこそ私は、せめて映画の中だけでも希望を持てるように、努力しているような気がします。

 

――映画監督という道を進まれているチョン監督にとって、映画監督として生きて行く上で大事にしていること、支えにしていることは、どんなことでしょうか。

 

監督:この仕事をしていると、人間の意志というものについて、いろいろと考えるようになります。新しい環境に自分を投げ出す意志と勇気は、いったいどこから来るでしょうか? こうして『蝶の眠り』を皆さんにご覧いただけるのも、「いつか日本で映画を作ってみたい」という強い意志をずっと持ち続けていた私が、勇気を出して実行に移すことができたから。

 

まだ力不足なところもありますが、まずは勇気を出すための強い意志を持つことが、なにより大事ではないかと思っています。

 

いかがでしたが? 穏やかな佇まいの中に秘められた チョン監督の意志の強さが、このインタビューからも伝わってきたのではないでしょうか。

 

 

インタビュー後の写真撮影の際、取材部屋の窓に備え付けられたステンドグラス作品にふと目を向けると、なんとそこには「書棚の夢」というタイトルが!

 

 

『蝶の眠り』という映画にとって、これ以上ないほどふさわしい空間でチョン監督のお話を伺えたことに、ただならぬ偶然性を感じてしまった瞬間でした。

 

ぜひ皆さんも劇場に足を運んで、チョン・ジェウン監督が『蝶の眠り』に込めた思いに触れてみてくださいね。

 

(写真/加藤真大)

 

『蝶の眠り』概要

 

『蝶の眠り』

 

5月12日(土)より、角川シネマ新宿ほか全国ロードショー

出演:中山美穂 キム・ジェウク/石橋杏奈 勝村政信 菅田 俊 眞島秀和 澁谷麻美/永瀬正敏

監督・脚本・原案:チョン・ジェウン

ストーリー・劇中小説:藤井清美

企画・製作:山上徹二郎 坂本敏明 イ・ウンギョン

プロデューサー:山上徹二郎 イ・ウンギョン 山口幸彦

製作:シグロ、キングレコード、ZOA FILMS

制作プロダクション:シグロ

配給:KADOKAWA/日韓合作映画/日本語/112 分/5.1chDCP

 

 

公式サイト:chono-nemuri.com

 

 

©2017 SIGLO, KING RECORDS, ZOA FILMS 2017

 

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