目指したのは、アニメーションを再解釈することから始まる実写映画

 

加藤:ちなみに中川監督は、寅さん以外の山田洋次監督作品もお好きですよね。

 

中川:もちろん!

 

加藤:『四月の永い夢』は、寅さんというより『息子』※3 の方に近いのかなと。

 

※3 山田洋次監督が1991年に手がけた映画。劇中で描かれる永瀬正敏さん演じる哲夫と和久井映見さんが演じる征子の恋模様は、『四月の永い夢』に通じるものがある。

 

中川:そうなんです、まさに。

 

加藤:同じようにダメな男が主人公で、ある女の子に惚れて、ダメながらもアプローチしちゃうみたいな感じで。

 

中川:これはもう明確にそうで、『息子』と、あとは寅さんの大竹しのぶさんが出ている回(第20作『男はつらいよ 寅次郎頑張れ!』)。大竹さんが食堂の店員役で。

 

加藤:あ! 食堂の店員っていうのが、もう同じですもんね。

 

中川:そうそう。その2作品には少なからぬインスピレーションを受けていますね。

 

加藤:中村雅俊さんが労働しているっていうのも、三浦貴大さん演じる志熊に通じますしね。初海と志熊が二人で話しているところなんか、すごくよく似ていますよね。

 

 

中川:良かった(笑)。『息子』とか『学校』とか、あの頃の山田洋次作品も最高ですよね。

 

加藤:あの時代の山田洋次作品って、「街を歩くその人たち」で画を作るじゃないですか。『四月の永い夢』の中にも、初海が音楽を聴きながら街を歩くシーンがありますが、中川監督もすごく街を魅力的に撮られていて。そこはもう、山田イズムというか、「その街に、その人が居て、生きている」っていうことを、表現されているように感じました。

 

――『四月の永い夢』は、東京の国立と富山の朝日町が主な舞台となっていますよね。細田守監督のアニメ映画『おおかみこどもの雨と雪』と通じる部分も感じられますが、今回この作品を、この街を舞台に撮りたいと思った理由は、アニメと何か関係がありますか?

 

中川:国立と富山が舞台で、細田監督の作品と同じだったっていうのは、たまたまなんです。小さいころからこの街に馴染みがあったので、今回国立を舞台にしたんですが、アニメーションからの影響というのは実際にあって。ヒロインが27歳なのは高畑勲監督の『おもひでぽろぽろ』の影響の欠片でもあります。

 

――へぇ。そうだったんですね!

 

中川:言ってみれば、自分たちの世代は、「アニメーションネイティブ」というのか、アニメーションが実写映画に負けない影響力を持っている最初の世代というように感じます。

 

加藤:わかります。「アニメを見てるヤツはオタク」っていうのは、僕らより上の30代後半以上の世代なんですよね。宮崎勤の事件とかに直撃していた世代というか。

 

中川:そうですね。みんな最初に観た映画は『となりのトトロ』だったりするわけで。

 

加藤:それがちょうど切り替わってきた世代が、僕らなんですよね。

 

中川:『もののけ姫』が爆発的なヒットをして、『新世紀エヴァンゲリオン』が社会現象になったりした頃に7歳くらいでしたから、僕らの自意識が芽生えたときには、アニメはすでに市民権を得ていた印象です。

 

加藤:そうですよね。

 

中川:ここで大事なのが、アニメーションはもともと現実をどういう風に捉えてきたのかっていうことを考えたときに、高畑勲監督や宮崎駿監督は、それまでなら実写として扱われていたかもしれない題材をアニメーションにする、ということに挑戦されていたのではないでしょうか。※4。『アルプスの少女ハイジ』や『母をたずねて三千里』もそうだし、『おもひでぽろぽろ』とか『耳をすませば』とかもそういえると思います。

 

※4 『アルプスの少女ハイジ』や『母をたずねて三千里』では、高畑勲監督のもとで、宮崎駿さんは場面設計(レイアウト)を長年担当しており、クオリティとアニメ制作体制に多大なる貢献をしていた。

 

加藤:まさにそうですね。

 

中川:例えば、車窓の流れ行く光であったり、実写だと情報量が多すぎて逆に見過ごされてしまうようなものを、あえてアニメーションとして表現することで観客はその光を認知する。それが新しい詩情の発見になったのではないでしょうか。

 

加藤:わかります。僕も、高畑監督がお亡くなりなられて、改めて彼がどういう作品を作ってきたのか考えているんですけれど、高畑監督は「日常と喪失」を描いてきた作家だと思っていて。主人公が日常を送る中で、あるものが欠けてしまって、それでも人は生きていかなければならないといったときに、じゃあどうやって生きていくべきなのかという。

 

中川:そうかもしれません。実写を再解釈するといったかたちでアニメーションが新しい表現を獲得して、僕らの世代はそれを観て育っているので、今度はアニメーションを再解釈して、実写映画を作ることが出来ないだろうかという、そういう意思が自分の中にあって。だから実写といっても、目の前にあるものを生々しく撮るのではなく、むしろ引き算しながら、作られた町として異世界を生み出せないものかということに、今回の作品で挑戦したかったんですよね。

 

加藤:それは、その場にある物としては撮られていないということですよね。

 

中川:そうです。だから、画角とか、美術とか、光の感じとかも、本当の国立の街というよりはむしろ、「国立」というセットみたいな意識で作ろう、と。現実の風景って、何かを撮るときに余計なものが多すぎるんですよね。でもアニメだとそれを消せるから、魅力的な世界を作れているのではないでしょうか。

 

加藤:確かにそうですね。

 

中川:そういう意味では、国立はそういったことが結構やりやすかったです。

 

加藤:なるほど。あと一つ気になったのが、中川監督の作品は、銭湯のシーンがよく出てくるんですけど、いわゆる「銭湯感」みたいなものがないんですよね。

 

 

中川:そうかもしれません。

 

加藤:普通、銭湯ってどの時間帯に行っても、それなりに人が居ますよね。でもこの映画の銭湯には(主人公たち以外)誰もいない。ということは、ただ単に主人公が銭湯に居るっていうことではなく、先ほどの引き算によるノスタルジックな昭和っぽさの演出はもちろん、服を脱いで本当の自分をさらけ出しつつ、自分の内面と向き合うための時間や場所として、銭湯のシーンが作られているのかな、と思って。

 

中川:やっぱり、ああいう空間じゃないと話せないこともあるかなと思います。修学旅行先で、寝る前に布団の中でついつい普段は話さないような話をしてしまうというような。大人になると修学旅行が居酒屋とかに置き換わっていくわけですが、お酒を飲んでコミュニケーションをするのとは違う、人間の肉体を回復させるような場所が街の中に内包されていることが、僕は絶対必要だと思っていて。

 

街中で僕らは服を着てコミュニケーションをしているんだけれども、銭湯では互いに素っ裸になって話します。そういう空間を街が持つことは非常に意義があると思います。

 

 

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