昨年の山形国際ドキュメンタリー映画祭で、数々の強豪を抑えて見事大賞に輝いたポーランド映画『祝福~オラとニコデムの家~』。ワルシャワ郊外の街を舞台に、自閉症の弟・ニコデムと、アルコールで問題を抱える父親と3人で暮らす14歳の少女・オラの過酷な日常を、驚くほどの親密さで捉えた本作は、デビュー作とは思えぬほどの完成度で、山形のみならず、世界各国の映画祭で多数の賞を受賞する注目作です。

 

この度SWAMP(スワンプ)では、日本公開を目前に控え来日したアンナ・ザメツカ監督に、単独インタビューを敢行。監督が考えるドキュメンタリーとフィクションの違いや、フィルター越しのような美しい映像の秘密、そして『祝福』という邦題に対する想いまで、たっぷりと伺いました。ポーランド語通訳は、福井麻子さんです。

 

『祝福』というタイトルと、ドキュメンタリーとフィクションの違い

 

――監督は山形国際ドキュメンタリー映画祭に続いて、今回が2度目の来日と伺いました。本作の日本語タイトルの「祝福」という言葉の響きが、ポーランドでとても評判がいいとお聞きしたので、筆でうちわに書いてみました。どうぞ。

 

アンナ・ザメツカ監督(以下、監督):アリガトウゴザイマス! とっても美しいプレゼントですね。もしも難しい質問が飛んできたら、私はこうやって扇ぎますね(笑)。

 

――ははは(笑)。わかりました。ではそれを「答えられない」という合図にしましょう! まずタイトルについて伺います。ポーランド語ではもともと「Komunia(聖体拝領)」だそうですが、『祝福~オラとニコデムの家~』という邦題について、どのように感じられましたか?

 

監督:『祝福』という日本語タイトルがとても気に入ったので、もしかしたら今後、原題もこれに変えるかもしれません(笑)。

 

――「SHUKU-FUKU」という日本語の音の響きから、どんな印象を受けますか?

 

監督:とてもきれいで温かい感じに響きます。既にポーランドのいろいろなメディアで「SHUKU-FUKU」というタイトルを出しているのですが、皆さんとても喜んで「これはとてもきれいなタイトルだ」と仰っています。

 

 

――日本の配給元であるムヴィオラの武井みゆき代表が、この映画を観て、「オラとニコデムに祝福がありますように」との想いを込めて、このタイトルを付けたと伺いました。その話を聞いてどう思われましたか?

 

監督:昨日初めてその事実を知り驚いたのですが、とても嬉しく思っています。その想いが美しいと思います。オラとニコデムにも伝えますね。

 

――当初監督は、短編のフィクションを撮ろうと思っていたそうですね。もともと家族の話を撮るつもりだったのでしょうか。

 

監督:はい。家族がテーマの作品です。「姉と弟」が主人公で、姉が弟の面倒をみるというようなテーマを考えていました。いわゆる「アダルトチャイルド」についての映画です。

 

――ということは、ドキュメンタリー作品になったのは、偶然の展開だったんですね。

 

監督:そうなんです。街で偶然オラの父親のマレクと出会って、彼がすぐに自分の子どもたちのことを話し始めたんです。知り合ったときには、非常にジレンマを感じました。今まで自分が考えていたフィクションの方を撮るか、彼らのドキュメンタリーを撮るか。そして最終的には、彼らのドキュメンタリーを撮ることに決めました。

 

――つまりそれは、俳優を使って劇映画を撮ることよりも、魅力的な被写体と出会ってしまったということですか?

 

監督:オラやニコデムと出会ったことは、私にとってすごく魅力的な出来事だったんです。とても大きな可能性を秘めた作品になる、という絶対的な確信がありました。

 

――なるほど。実は、今回このインタビューで伺ってみたかったのが、ザメツカ監督にとって、ドキュメンタリーとフィクションはどのように違うのか、ということなんです。

 

監督:私の中では、ドキュメンタリーとフィクションに違いはありません。

 

――違いは、ない。

 

監督: 私にとって、ドキュメンタリーなのかフィクションなのかは、あまり重要ではないんです。ほかの監督にしてみれば、ドキュメントかそうでないかは、とても重要なことなのかもしれませんが、私にとってはまったく重要ではないんですね。ただ、その映画が観客に対してどういう風に働くか、ということだけが、私の興味のあることなんです。

 

――なるほど。では逆に、私にとってのドキュメンタリー作品のイメージをお伝えしてもよろしいですか。

 

監督:お願いします。

 

――日本の場合、ドキュメンタリーは、演出をするというよりは、手持ちのカメラで取材対象に迫って、そこから受けるものをカメラで記録するというイメージがあります。

 

監督:私が撮った『祝福』という映画は、そういった意味でいうと、真逆のやり方で出来上がりました。

 

――監督はどのようなやり方で、この映画を作っていかれたんですか?

 

監督:私が何を言いたいのかということを、まずノートに書き出して、それに従って映画を作っていこうという思いがあり、彼らと知り合ってから1年近く、カメラ抜きで彼らと過ごす時間を持ちました。彼らが何を望むのか、ということをよく理解しなければいけませんでしたから。自分たち家族の問題と、社会との問題の闘いの部分を考えなければならなかったんです。

 

現実に起こったことに対するリアクションを、とってもよく観察しなければなりませんでした。そしてその観察を基に、スクリプトを書いていきました。もちろんスクリプトと言っても、劇映画のスクリプトとは全然違うものです。セリフは一切ありません。

 

――なるほど。

 

監督:私が考えたいくつかのシーンを書いただけなので、それを基に彼らがどのように振る舞うかは、その時点ではもちろんわかりませんでした。(劇中で)時々、社会福祉士が訪ねてきますよね。そういった場面は3回出てくるんですが、彼がやって来ると、オラはすごく緊張してイライラするんです。特にお父さんとお母さんのことを福祉士が訊ねると、オラは非常に硬くなる。そして、福祉士に対して、オラが時折本当のことを言わずに嘘をつくことに気づいたんです。オラは両親を守ろうとしているのだと、私は理解しました。

 

もちろん福祉士の場面は考えてはいたんですけれども、いつ彼がやってくるのかは、予測することが出来ません。なので、1回は彼のオフィスにオラが訪ねていってもいいかと(福祉士に)聞きました。

 

――それは、そのシーンを撮りたかったからですか?

 

監督:はい。福祉士のシーンについては、劇映画と同じように前もって準備はしました。オラの顔だけが映るようにカメラを固定して、福祉士は絶対に映しませんでした。もちろん私は、オラがその場面でどういう風に反応するかは知りません。ただ、私にとって大事だったのは、固定カメラに映ったオラの顔が、どんな風に変化していくのか、彼女の目に何が浮かぶのか、ということだけでした。その結果、彼女の目に映ったのは、「いったいこれから何が起こるのか」という「恐れ」だったんです。私としては、オラがまた嘘をつくのではないかと少し期待していました。そしてその通りになったんです。

 

――「期待した」のは、どうしてですか?

 

監督:結局、オラが怯えている顔が、両親を守ろうとすることに繋がるからです。それを私は映したかった。福祉士に「何か問題はありませんか?」と聞かれたオラは、「全く問題ありません」と答えますよね。それはもちろん嘘なんですが、嘘をつくことで親を連れて行かれてしまう心配がなくなるわけです。

 

――この映画の中では、子どもを捨てたお母さんのことも断罪していませんよね。お母さんだけが悪い人で、ただ単に「オラが可哀そう」という視点では、撮っていないのではないかと感じました。

 

監督:私はセンチメンタルな映画は作りたくなかったので、同情というものは欲していませんでした。私には彼らをジャッジするつもりは、まったくありません。

 

――それよりも、観客にオラの置かれた「不公正」な現状を、そのまま伝えたかったということでしょうか。

 

 

監督:もちろん、私の解釈による「現実」です。たとえドキュメンタリー作品といえども、やはり私の解釈は入ると思います。例えばどこにカメラを置いて、どういう形で撮るかという、そこにすら私の意志は入ります。結局、誰かの人生の一部しか切り取らないわけなので、そこにある程度、私の解釈や物の見方が入るのは、仕方がないことだと思っています。

 

――確かにそうですね。

 

監督:こういった映画を撮影することは、大変な責任を背負うことだと思います。しいて言うなら、そこがドキュメンタリーとフィクションの違いです。ドキュメンタリーの場合、非常に大きな責任を負うだけでなく、下手をすれば、出演者をものすごく傷付けることに繋がってしまう。そのことはちゃんと言っておきたいです。

 

――実は、私もそのことが一番知りたかったんです。でも、この映画が公開されたことによって、オラやニコデムを取り巻く環境は、少なくとも撮影当時より改善されたのではないでしょうか。

 

監督:もちろん、少しは良くなったと言ってもいいかもしれません。でも、そもそも映画監督はそういったことを手伝うために存在するわけではないので、物理的に彼らを支えてあげることはできません。監督は映画を作った。それだけです。私がいま彼らを手助けしているのは、もちろん義務ではありません。ただ、彼らを好きになったし、いまでは私にとって彼らはとても身近な人になりました。でも、映画監督としてそれを要求されても困ります。

 

 

■次ページ:映画で印象に残ったファスナーをあげるシーン

 

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