
バンドマンから役者を経て監督になるまでの道程
——では、気を取り直して。過去のインタビューを拝見したところ、SABU監督はもともと映画監督志望だったわけではないんですよね。もともと「将来はこういう職業に就きたい」といったような夢をお持ちだったんですか?
SABU:いや、全然なかったですね。絵を描くのも好きだったんですが、何事も中途半端だったので……。てっきりバンドで上手くいくものだと思い込んでいたんですけれど、大学に通っていた友人が卒業するまで待つ必要があったので、その間にファッションデザインの学校に行くことにしたんです。
——あくまでバンドでデビューするまでの「つなぎ」みたいな感じだったんですね。
SABU:でも俺、意外と真面目なんで、ちゃんと卒業しなきゃと思って本気でやってましたね。結果的には音楽も絵もファッションも、監督になって全部役に立っているので、決して無駄にはなっていないんです。
——監督に成ろうと思ってやっていたわけじゃないことが、ちゃんとつながっているのがすごいですよね。
SABU:当時はVシネマが沢山作られていて僕も役者として出てはいたんですが、脚本があまりにもひどくて、友だちにタイトルを言うのも恥ずかしいような状況だったんです。仕事だから仕方なくやってはいたけど、それを続けていても何の意味があるんだろうと思っていて。
——食べていくためには、不本意でもやらざるを得なかったということですか?
SABU:その時はバイトもしていたから、別に食べるためというわけでもなかったんですよね。
——ちなみに、何のバイトをされていたんですか?
SABU:水道工事です。
——肉体労働をしながら、Vシネマに出演していたというわけですね。
SABU:そうですね。現場でプロデューサーまで一緒になって脚本の悪口を言っているのを耳にするのが、本当に嫌だったんですよ。プロじゃないっていうか。あと、勝新太郎さんとか毎日芝居のことを考えているという役者に憧れて、自分もそうなりたいと思っていたんですけど、どうしていいかわからなくて。それこそ当時は役のために誰かを観察するなんていうことも思い浮かばなかったし、そもそも役者はオファーが来なければ仕事が無いわけですから。
——なるほど。
SABU:それである時「こんな脚本なら俺でも書ける」って言っていたら、嫁が紙と鉛筆を持ってきて「だったら自分で書けばいい」って話になって。「じゃあ、やってみよう!」と思って書いてみたら本当に書けたんですよ。
——え〜!? 脚本っていきなり書けるものなんですか? 例えば何かを参考にしたとか、シナリオスクールに通ったとかいうわけでもなく?
SABU:いや、まったくないですね。そもそも「脚本とはこういうもの」みたいに型にはまったやり方が好きじゃないので。「常識を壊すことこそが自分のやり方なんだ」と『弾丸ランナー』を撮って自分で気づいたんです。
——そもそも脚本を書き上げただけでなく、どうしてご自身で監督まで出来てしまったのかが気になります。
SABU:たまたま書いた脚本を「面白い!」と言ってもらえたんです。もちろんその時は自分で監督するなんて思ってもいなかったし、3番手くらいで出演するつもりでいました。もともと自分で書いて自分で主役をやるほど「俺が、俺が」と言うタイプではないので(笑)。やっぱり役者は「どうぞ!」って言われてなんぼなんです。ところが「監督は誰にする?」という話になった時に「書いた本人がやれ」と言われて。それが監督デビューのきっかけなんです。
自分としては1本だけで終わると思っていたんですが、1作目を撮っている最中に「次の脚本はないのか」と言われて、それで慌てて『ポストマン・ブルース』を書いたんです。そのあたりから、段々自分でも面白くなってきたという感じですかね。
——デビュー作から既にご自身でも手ごたえを感じていらしたのでしょうか。
SABU:オリジナルの方が客観的に判断できるので、基本的に自分で撮ったものに関しては絶対的に面白いはずなんです。次の日に読み返して「うわぁ……」って思うような作品は、そもそも表に出せないですからね。
——役者と監督のどちらに主軸を置こうかと悩んだりはされなかったんですか?
SABU:監督をやり始めたことで「脚本さえ書けば、1年に1本は撮れる」というペースが作れたので、逆に悩まなくなりましたね。つまり、映画監督に向いているかどうかということよりも、そういったスタイルが作れたことの方が、自分にとっては大きかったんですよ。1作終わるごとに「次はこれ」「その次はこれ」という風に、アイデアが次から次に頭に浮かんでくるんです。