「大事MANブラザーズバンド」のシンクロニシティ

 

――今回の『半世界』では監督・脚本を務められていますが、主人公の年齢を「39歳」に設定にしたのは、ちょうど人生の折り返し地点くらいの年齢だからですか?

 

監督:それは、あとから付けた理由だね。でも「40になる直前」って、野郎はいろいろ考える年齢だと思うんですよ。

 

——「不惑」を前に?

 

監督:いや、どちらかというと「厄年」の手前だね。俺自身が39歳くらいだった時って、デビューしてからちょうど9年ぐらい経っていて、荒戸源次郎事務所※ が解散になった直後。それまではずっとオリジナルでやってきたけど、ちょうどほかの人の企画も受けるようになった時期にあたる。40代を迎えるにあたり、これからどんな映画作りをやっていくのかっていろいろ考えてたわけ。39歳は藤山直美主演で『顔』と言う映画を企画した年なんですよ。

 

※阪本監督のデビュー作『どついたるねん』や、豊田利晃監督が脚本を担当した『王手』などを製作。

 

——そう考えると、ものすごく大きな変化のあった歳ですね。

 

監督:『顔』は自分にとって初めて女性が主演の映画だし、藤山さんは舞台女優さんで、それまでほとんど映画に出たことがないとか、今までの自分の考え方をシフトしないと取り組めない企画ではあった。

 

——その時期のことを、今でもことあるごとに思い出すということですか? ちなみに監督は撮影後に還暦になりましたが、59歳の男性の話ではなかったということですよね。

 

監督:少年のままでいられるか、そろそろ違うものを求められるかっていう境目は、やっぱり俺は40だと思ってるの。とはいえ日本には映画監督の先輩が大勢いるから、40歳になっても「新人監督」って言われていたけれども。

 

——「男3人の物語」というのは、どういったところから?

 

監督:「映画は奇数の登場人物の方がバランスがいい」っていうのは、昔から言われていて。それともう1つは『画家と庭師とカンパーニュ』というフランス映画があって、それは男2人の話なんだけど、そこにもう1人異物を加えて、全く楽器が違う3人にセッションをやらせてみたら、新たに生まれるものがあるんじゃないかと思ったから。

 

 

——この3人の取り合わせは、すごく意外性がありました。でも何より驚いたのは、岩井光彦役の渋川清彦さんが『泣き虫しょったんの奇跡』に続いて、またしても「大事MANブラザーズバンド」の『それが大事』を熱唱していることだったんです。

 

監督:それは、俺もあとから聞いたのよ。いざ撮影に入るっていう時になって、渋川の事務所の社長から「いや実は……同じ歌を別の作品でもソロで歌ってるんですけど……」って言われたの。で、「誰だよ監督!」って聞いたら「豊田(利晃監督)だ」って言うから「まぁ、豊田だったらいいか」って。

 

——ものすごい偶然じゃないですか?

 

監督:脚本の段階からちゃんと曲名まで書いてあったんだよ。こういうのはただ「3人が歌う」って言うだけじゃダメなの。やっぱり具体性が必要。なぜその曲なのかというと、地方都市に暮らす中学生たちの間で当時一番流行っていた歌が「大事MANブラザーズバンド」だったと言うわけ。

 

——歌詞にもインパクトがありますからね。

 

監督:そう、素直すぎるくらい、素直じゃないですか。

 

——それにしても、ほぼ同時期に製作されていた映画で、同じ役者が同じ曲を歌うなんてすごいですね。

 

監督:まぁ、豊田だったら許す。って、あっちの方が先なんだけどね(笑)。渋川には、もう一回別の作品であの曲を歌わせてやろうかなと思ってる(笑)。

 

 

——長谷川博己さん扮する沖山瑛介の職業が、海外派遣から戻って来た元・自衛官になった理由とは?

 

監督:過去に『亡国のイージス』と『KT』という作品で自衛官に取材したんだけど、彼らの中には「僕は日陰者じゃなきゃいけないんですよ」って言う人もいたし、「年間100人以上の自殺者がいる」と言う話を聞いたりしたこともあった。『半世界』の企画立ち上げの頃のノートを見返すと、最初はドラフト1位でプロ野球の球団に入ったものの、その後一度も活躍できなくて戻って来たヤツの話だったの。

 

それが最終的に元・自衛官に落ちついたのは、結局小さな地方都市を舞台に市井の人たちを描くにあたって、今まで作ってきたものの残滓(ざんし)みたいなものがあったから。きっとそれが、元・自衛官という職業にさせたんだろうね。

 

——稲垣吾郎さんが演じた炭焼き職人の高村紘に関しては、実際にモデルになった方がいらっしゃるんですか?

 

 

監督:いや、もともと炭焼き職人を主人公にしたプロットはだいぶ前から書いていて、ずっと書物レベルでは勉強していたんですよ。でもいざ企画を具体化するにあたり、窯を借りたり、指導を受けなきゃいけないとなったときに、ある炭焼き職人に出会って、全面的に協力してもらえることになったんです。窯っていったん火をくべると365日、1日たりとも休めないんですよ。さすがに窯を作る予算まではなかったから、協力してもらうことができて本当に助かった。

 

そもそもその炭焼き職人の方が南伊勢の人だったから、映画の舞台もあの場所になったの。もしこの方が和歌山紀州の人だったら、紀州備長炭になっていたと思うよ。

 

——そうだったんですね。

 

 

■次ページ:屋根裏でコウモリに話しかけながら暮らしていた少年が、俺の中にまだいるんだよ

 

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